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最後まで消えないもの。

  • keioguri2015
  • 2018年6月22日
  • 読了時間: 2分

10年くらい前、一色海岸に夏限定でオープンするブルームーンというビーチハウスでGOMAというディジュリデュ奏者の演奏を観た。

ディジュリデュとはオーストラリアのアボリジニーという民族が生活の一部で吹く管楽器で、ユーカリの木をシロアリが空洞にした自然のなかで偶然にできたもの。

そのステージではディジュリデュが海に向かって地面と平行に顔の高さにセットしてあり、GOMAさんは両手を広げて息を吹き込み、大きなうねりをずっと持続させていた。

地を這う様な響きがブイーーンと大きなうねりをつくり回り続けていた。

先日NHKで放送されたドキュメンタリーを偶然観て、GOMAさんの現状を知って驚いた。

僕がライブを観た後、偶然起こってしまった交通事故から、高次脳機能障害となり、記憶を無くし、記憶力も衰えてしまうという普通に生活していくにも困難な状況になっていた。

「失った記憶 ひかりはじめた僕の世界」という事故後に記憶を留めるために綴られた日記本を読んだ。

そこには、なんとか家族のため仲間のために生きようとするGOMAさんの日々の想いが浮き沈みを繰り返しながらリアルに書かれている。

GOMAさんの場合、事故にあった後に思いがけない現象が起った。

抑えられていたひとつの才能が突然開きだし、以前やったこともない点描の絵を描き始め、とりつかれたように描き続ける毎日になる。

それから個展を開いたり、絵の仕事も舞い込むようになる。

偶然にも動き出した才能から新しい世界が開かれてゆく一方で、その過酷な状況においても消えないものがあった。

身体的におぼえた感覚。

音楽を編集する機器の使い方はまったく忘れてしまったが、ディジュリジューに吹き込む呼吸や音の出し方が身体の記憶として残っていた。

パフォーマンスにおいて、もちろんトレーニングをずっと重ねていることは間違いないが、それがいつしか身体に染み付いてその人の生き方の本質になっているということ。

まさにアボリジニーが生活の中で習慣的に吹くという状態まで行き着いていたのかもしれない。

ステージの上で精神が落ち着いて、身体が自然に動き出しパフォーマンスが生まれる。

なんと魅力的なことだろう。

GOMAさんが生きている以上、絶対に消えないディジュリデュの演奏。

また感じに行きたいと思う。

oguri kei


 
 
 

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